大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(合わ)196号 判決

主文

被告人Aを懲役一八年に、被告人Bを懲役一四年に、被告人Cを懲役一六年に処する。

未決勾留日数中、被告人A及び被告人Bに対しては各二五〇日を、被告人Cに対しては一八〇日を、それぞれその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人Aは、昭和三一年に千葉県内の定時制高校を卒業後、市役所職員、植木職見習い、タクシー運転手等として働き、この間、昭和三八年に結婚して一子を儲けたものの昭和四一年ころから妻子と別居し、昭和五四、五年ころ東京都江東区内の麻雀店に出入りするうち、同じ店の客であつたDと知り合い、同人が昭和五五年ころから同区内に麻雀店「○○」を開店するや、やがて同店に出入りするようになり、同人から同店で働けば給料として売上げの三分の一を与えると誘われて、昭和五八年二月ころから同店店長として稼働していたものであり、被告人Bは、昭和四三年に北海道内の中学校を卒業後、北海道、名古屋、東京等を転々として、土工、配管工、飲食店従業員等として働いた後、遊び暮していたところを麻雀店で知り合つたDに誘われ、同人が台東区内に経営するスナック「○○」で昭和五四年末ころから従業員として稼働していたものであり、被告人Cは、昭和四四年に茨城県内の工業高校を卒業後、東京都内や千葉県内の寿司店、割烹店で板前として働いていたが、昭和五九年五月ころ勤め先で使い込みをして逃走中、以前に喫茶店で知り合つたDを頼つて行つたところ、同人から前記スナック「○○」を新装開店するので店長として働いてみないか、月給を三〇万円保障するほか前記使込金一五〇万円も立て替えてやると誘われ、同年七月ころから同店の店長として稼働していたものである。

ところで、被告人Aは、麻雀店「○○」に就職した時、既にDに対し、賭け麻雀の支払などのため借用した約二四〇万円の借金があつたうえ、さらに、同店では店長として客と賭け麻雀のいわゆる代打ちをせざるをえず、その負け分をDから借り入れることを重ねたため借金が膨らみ、その返済分を毎月の給料から差し引かれて無給同然で働いていたところ、Dは、同人にゲーム機械を置く店や同人が行つていた競馬のノミの客を紹介すれば紹介料を支払うと言いながら、被告人Aがこれを紹介しても約束を守ろうとせず、また、いずれ麻雀店を持たせてやるとの話も一向に実現させる様子もなく、かえつて、昭和五九年一〇月ころには、約四〇〇万円となつていた借金をDが用心棒兼貸金の取立人として使つていたキックボクサーあがりの男に肩代りさせると言い出し、借用証の作成を要求してきたので、そんな男に肩代りされたのではこの先どんな目にあうかも知れないと思い、Dのやり方に大きな衝撃を受けて、同人に対する信頼感が完全に途切れてしまい、店を締めることを考えたものの、同人のもとを去れば借金の取立てはいつそう厳しくなるものと考えてそれもできず、同人に対する憎悪を募らせ、いつそのこと同人を殺害してしまえば、借金苦から解放されるとともに麻雀店も自由に経営できると思うに至つた。被告人Bは、スナック「○○」に就職後、Dから生活費等として給料の前借を重ねるほか、Dから命じられて麻雀店「○○」を手伝いに行つた結果、被告人Aと同様に賭け麻雀の代打ちの負け分がDへの借金となり、同人が約束してくれたスナック「○○」の利益の一五パーセントの歩合も支払つてもらえないで次第に借金が増え、その返済のため給料も満足に支給されず、嫌気がさしてDに店を辞めたいと申し出ると、借金を清算しないで逃げても追いかけて行くと言われ、貸金取立ての厳しさをまのあたりにしていることもあつて、辞めることもできず、仕方なくスナック「○○」のほかノミの電話受付や麻雀店「○○」の手伝いを続けていたところ、さらに、Dはいずれスナック「○○」の経営を任せるとの話に反して、新装開店後の店長に被告人Cをすえ、同被告人を通じてもらうようになつた一六万円の月給から借金の利息分として毎月五万円を引かれ、相変らず金に困る生活を続け、昭和五九年末にはDに対する借金は約一三〇万円になり、Dは自分を借金で縛りつけ金儲けの道具としてこき使つていると考え、同人に対して激しい憤りを感じるとともに同人から離れて自由になりたいと思うようになつた。被告人Cは、スナック「○○」の客足が三か月程で減つてしまつたこともあつて、月給は平均して一〇万円位しかもらえず、生活費にも窮してDに実情を訴えても、借金としてなら貸してやるがそれも同被告人の父の保証が必要だと冷たくあしらわれるのみで、前記使込金についても当初の約束に反して何の手当てもしてくれず、また、いずれ大きな店を出すからその時はその店を任せるとの話も一向に実現させる様子もなく、Dのみが韓国で豪遊を繰り返しているので、同人に裏切られたという気持で一杯になるとともに、被告人Aや同Bの話からもDに憎しみを抱くようになつていつた。

こうして、被告人三名は、昭和五九年末ころから翌六〇年一月にかけて、スナック「○○」において、Dの乗つた飛行機が落ちればいいなどと同人に対する不満を口々に語り合うようになつていたが、既に同人への殺意を抱いていた被告人Aは、Dが年も若く腕つぷしも強いので一人では殺せないと考え、そのころ、同人殺害の話を被告人Cに持ちかけたところ、Dに不信の念と憎しみを抱いていた被告人Cは、Dを殺害すればスナック「○○」を始め麻雀店「○○」や競馬のノミ屋を自分たちで自由にやれるようになり生活が楽になると考えて、これに応じ、被告人Aと同Cの間で、殺害の日、場所、方法、死体の処理方法等につき謀議を重ね、Dがノミ行為のため必ず現れる日曜日のスナック「○○」二階において同人を血が出ないように絞殺し、その死体を千葉か茨城の山中に埋め、Dの親族等には同人が韓国に行つていることにすることなどを決め、他方で、日曜日同所でノミの受付をしていて必ず居合せることになる被告人Bには、被告人Cから話を持ちかけて仲間に引き入れることにして同年二月中旬ころ同被告人が被告人Bに話をしたところ、被告人Bも、当初は乗り気でなかつたものの、再三にわたり被告人Cから誘われたうえ、借金苦から解放されノミも自由にできると考えて、同年三月初めころには同意するに至り、被告人三名は犯行の機会を窺つていた。被告人B及び同Cは、同月一六日ころ、Dから、次の日曜日にいかさま賭博をすると言われたので、賭博をした後で同人を殺害しようかとも話し合つたが、結局は、賭博の手配をしないでおいて同人がスナック「○○」に必ず現れる同月一七日の日曜日に同人を殺害することに決め、被告人Aには被告人Cから連絡した。

(罪となるべき事実)

被告人三名は、共謀のうえ、

第一  前記のとおりD(当時三六歳)を殺害することを企て、昭和六〇年三月一七日午前に、東京都台東区〈以下省略〉スナック「○○」に集まり、被告人AがDをいかさま賭博の件で怒らせることをきつかけに同人の殺害を開始すること、方法としてはその場にあつた電気コードで絞殺することに手筈を決め、同人が現れるのを待つていたところ、予想どおり同人が店に来たので、同日午後零時三〇分ころ、同店二階六畳間において、被告人AがDに「今やつているオイチョカブでCちやんとチーフ(B)が負けたらどうするつもりなんですか」と申し向け、それに激怒したDが被告人Aの顔面を手拳で殴打するや、同被告人がDに組みつき、次いで隣りの三畳間から被告人C及び同Bが飛び出してDに襲いかかり、被告人A及び同Cにおいて抵抗するDの身体を押さえつけ、被告人Bにおいて前記電気コードをDの首に巻きつけ、同被告人及び被告人Aにおいてその両端を引張るなどし、よつて、そのころ同所において、同人を窒息死に至らしめて殺害し、

第二  Dを殺害した直後の同日午後二時ころ、同所において、同人の死体から脱がした背広の内ポケットから、同人所有の現金約一〇〇万円を窃取し、

第三  Dの死体を遺棄することを企て、同日午後二時ころ同所において、同人の死体の手足をネクタイで縛つたうえ毛布に包んでダンボール箱に梱包し、翌一八日午前一時ころ、予め被告人Cが借りて来たレンタカーに死体の入つたダンボール箱を積み込み、被告人Cが運転して被告人三名で千葉方面に向かい、死体を埋めるのに適当な場所を探し廻つたうえ、千葉県香取郡栗源町西田部二五四番地付近の山林に至り、同日午前五時ころ、同所に堀つた穴にダンボール箱から取り出したDの死体を埋め、もつて死体を遺棄し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(補足説明)

本件の共謀の過程に関し、被告人Cは、公判廷において、最初から被告人三名で謀議が行われ、その後も常に被告人三名がいるところで謀議が重ねられた旨供述するのに対し、被告人Aは、同じく公判廷において、本件犯行の日である三月一七日より以前の段階においては被告人三名で謀議が行われたことは一度もなく、本件の謀議は被告人Aと同Cあるいは被告人Cと同Bの間で行われた旨供述し、大きな食い違いを示しているので、いずれの供述を信用すべきかについて、当裁判所の見方を説明する。

まず、被告人Cの供述について検討するに、謀議が最初から常に三人で行われたという点は、同一人に雇われていた者が三人がかりで雇主を殺した本件においては、十分ありうることではあるが、同被告人の供述には、次のような疑問もある。すなわち、被告人Cは、謀議における被告人Bの対応につき、一方では、同被告人は最初(昭和六〇年一月末ころ)からD殺害に乗り気であつた旨供述しながら、他方では、本件の実行が三月一七日まで延びた理由を述べるにあたつて、同被告人の気持にあやふやな面があつたと供述し、この間に矛盾があるといわざるをえない。また、被告人Cは、二月中ころ被告人Aから同Bの意思を確かめてくれるよう頼まれて同被告人に確認した結果、大丈夫そうな感触を得た旨供述し、被告人Bも、公判廷において、そのころ被告人CからD殺害の誘いかけがあつたことは認めるところであるが、被告人Cが述べるように、常に三人一緒にしかも頻繁に謀議が重ねられていたのであるとすれば、被告人Aにおいて被告人Cを通じて被告人Bの意思を確認するという迂遠な方法をとる必要があつたのか疑問なしとしない。

他方、被告人Aの供述についてみるに、同被告人は、D殺害を被告人Cにのみ持ちかけ、被告人Bに対しては直接被告人Aからは持ちかけなかつた理由については、被告人BはDと知り合つたのが被告人Aより早く、Dとより親密であつたことと、被告人AがDの弱みを握つておこうと考えて被告人Bに対しDのしている競馬のノミの一週間分の明細書を作つてくれるよう頼んだものの、同被告人が一旦はこれを引き受けながら結局は作成してくれなかつたことから、被告人Bに対しD殺害を持ちかけても断られる虞れがあり、そうすれば同被告人に自分の腹をみられてしまうと警戒した、そこで、被告人Bと同じ店で同じ仕事をしている被告人Cなら被告人Bと互いに気持の上で通じる面があると思つて、被告人Cに対し同被告人から被告人Bを誘つてくれるように頼んだ旨供述し、被告人Bの意思を被告人Cから確認してもらつた後でも、被告人Bと相談をしなかつた理由については、さきに挙げた事情のほか、被告人Cと同Bの間で大丈夫だと確認されているのに自分がまた話をむし返していつた場合断られる可能性もあり、触らない方がよいと思つた旨供述している。これらの理由づけは、その前提事実が全て証拠に合致するうえ、一応もつともであつて格別不自然不合理な点はないということができる。

このような被告人両名の供述を比較してみるに、被告人Aは、犯行当日を除き三人一緒には謀議をしなかつた点につき、理由を述べ、しかもその理由が具体的で一応もつともであることを考えると、被告人Cの供述よりも被告人Aの供述の方により強い説得力があるといわざるをえない。そうとすれば、D殺害の共謀の過程に関しては、被告人Aの供述を信用するのが相当と考えられる。

(窃盗罪の成立を一部認めなかつた理由)

本件公訴事実のうち腕時計一個及び指輪一個を窃取したという点について、窃盗罪が成立するか否かを検討する。

窃盗罪が成立するためには、他人の占有を奪取する時点において、行為者に不法領得の意思が存在することが必要であり、判例(大判大正四年五月二一日刑録二一輯六六三頁、大判昭和九年一二月二二日刑集一三巻一七八九頁、最判昭和二六年七月一三日刑集五巻一四三七頁参照)によれば、不法領得の意思とは、「権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」をいうと解されている。この点につき、検察官は、不法領得の意思とは所有者ないし正当な権限を有する者として振る舞う意思を指し、判例のいう「経済的用法」の要件はその典型的な場合をいうのであつて、右文言に拘泥したり、これを厳密に解すべきではない旨主張している。たしかに、文字どおりの意味での「経済的用法」である必要はないと解されるが、そもそも不法領得の意思が判例上必要とされるに至つた理由が、前記引用の判例によつても明らかなように、一つには毀棄・隠匿の目的による占有奪取の場合を窃盗罪と区別するためであることや、刑法が窃盗罪と毀棄罪の法定刑に差を設けている主たる理由は、犯人の意図が物の効用の享受に向けられる行為は誘惑が多く、より強い抑止的制裁を必要とする点に求めるのが最も適当であることを考えると、不法領得の意思とは、正当な権限を有する者として振る舞う意思だけでは足りず、そのほかに、最少限度、財物から生ずる何らかの効用を享受する意思を必要とすると解すべきである(なお、検察官の指摘する最判昭和三三年四月一七日刑集一二巻一〇七九頁も、被告人が投票用紙を同用紙として利用する意思であつたことを重要な事実として判示している。)。さらに、検察官は、窃盗罪と毀棄罪の区別は必然的に占有の奪取を伴うか否かによるべきであるとして、本件の場合、腕時計及び指輪の占有を被害者から奪つて完全に自己の支配下に置き、死体との関連性を消してしまうことを目的としていたのであつて、単なる腕時計及び指輪の物理的損壊あるいはその効用の滅失という目的を越えた積極的目的が存し、恒久的な占有の奪取が不可欠の要素となつているから、窃盗罪で問擬すべきであると主張する。しかし、被告人らにおいて恒久的な占有の奪取が不可欠であると認識していたとしても、さきにみた何らかの効用を享受する意思があることにならないことは明らかである。検察官の主張は、不法領得の意思の構成要素を減縮したうえで、不法領得の意思とは別個の基準を加えて窃盗罪と毀棄罪を区別しようとするもので、それ自体一個の見解ではあるが、判例の立場にも合理性が認められる以上、採用することができない。

そこで、本件の事実関係をみると、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、被告人三名は、前記のとおりDを殺害後の三月一七日の午後二時ころ、同人の背広ポケットから現金を窃取したり同人の死体をダンボール箱に梱包したりしたが、その際、犯行が発覚しないように腐敗しない貴金属類を死体から剥がして死体とは別の場所に投棄することに意思を相通じたうえ、腕時計及び指輪等を被害者の死体から剥がしてビニール袋に入れておき、これを翌一八日午前一時ころ、死体を自動車に積む際に一緒に積み込んで死体を埋める場所に向かつた。ところが、死体の遺棄に気を取られていたためか、貴金属類を入れたビニール袋についてはこれを捨て忘れたまま帰つて来てしまい、このことに気付いた被告人らは、被告人Cにこれの投棄を委ね、同被告人において、折りを見て捨てるつもりでスナック「○○」二階の洋服ダンスの中に入れて保管していた。しかし、昭和六〇年三月二一日ころ、被告人Cは、交際中のE子から金の無心を受けたこともあつて、腕時計については捨てるのをやめ、これを同日E子に渡し三〇万円で質入れさせた。指輪についても、被告人Cは、いずれ換金しようと考えるようになつて保管を続けていたところ、同年四月七日ころ、友人のFから質に入れると足がつくと忠告されたので、同人に対し投棄してくれるよう依頼して渡した。被告人A及び同Bにおいては、腕時計及び指輪は被告人Cが捨てているものと考えていた。

右の事実関係によれば、被告人らは犯行の発覚を防ぐため腕時計等を投棄しようとしてこれらを死体から剥がし、予定どおり投棄に赴いており、その間被告人らが腕時計等の占有を約一一時間にわたり継続したのも専ら死体と一緒に運ぶためであつて、場合によつてはこれらを利用することがありうると認識していたわけでもないから、被告人らには、未必的にせよ腕時計等から生ずる何らかの効用を享受する意思があつたということはできない。本件においては、その後、被告人Cによつて腕時計が質入れされる等の事態に至つているが、被告人らが腕時計等の占有を完全に取得した以後の段階において、その効用を享受する意思が生ずるに至つたとしても、遡つて占有奪取時における主観的要件を補完するものでないことはいうまでもない。結局、本件では、被告人らが腕時計等の占有を取得した時点においては、不法領得の意思を認めることはできない。

以上によれば、被告人らの行為は、器物毀棄罪等の別罪を構成するかどうかはともかく、窃盗罪を構成するものではないと解するのが相当である。

(法令の適用)

被告人三名の判示第一の所為はいずれも刑法六〇条、一九九条に、判示第二の所為はいずれも同法六〇条、二三五条に、判示第三の所為はいずれも同法六〇条、一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪につきいずれも所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、いずれも同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で、被告人Aを懲役一八年に、被告人Bを懲役一四年に、被告人Cを懲役一六年に処し、いずれも同法二一条を適用して未決勾留日数中、被告人A及び同Bに対しては各二五〇日を、被告人Cに対しては一八〇日をそれぞれの刑に算入し、訴訟費用はいずれも刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人らに負担させない。なお、被告人A、同Bに対する本件公訴事実第二(訴因変更後のもの)及び被告人Cに対する本件公訴事実第二のうち、腕時計一個及び指輪一個を窃取したという点については、窃盗罪の成立を認めることができないが、この点は、窃盗罪の成立が認められる部分と公訴事実のうえで一罪の関係にあるから、主文においては無罪の言渡しをしない。

(量刑の事情)

本件は、判示のとおり、被告人三名が共謀のうえその雇主である被害者Dを殺害し、その死体から現金を窃取したうえ、死体を遺棄したという事案である。その動機をみるに、被告人らにおいていずれも被害者の仕打ちに対する恨みに端を発してはいるものの、被告人A及び同Bにおいては、被害者に対する借金から逃れ、それとともに被告人ら三名において、被害者の経営する麻雀店、スナック及び同人の行つていた競馬のノミ屋を自己らのものにして利益を得ようとしたことが動機の一つとなつていることは否定できず、本件は、強盗殺人に極めて近い実質をもつ犯行といわざるをえない。しかも、被告人らは、犯行日、場所を、被害者が必ず現れ、かつ犯行や死体処理のしやすい日曜日のスナック「○○」二階に、殺害方法を血の出ない絞殺に、さらに死体は山の中に埋めることにするなど綿密な謀議を尽くしたうえで犯行に臨んでいる。犯行の態様も、全く無警戒である被害者一人に対して三人で襲いかかり、必死に抵抗する同人を容赦なく絞殺し、殺害後は同人所有の現金を窃取するとともに、犯行の発覚を防ぐために死体から腐敗しない貴金属類を剥ぎ取り、予定通りに死体を千葉の山中に埋め、犯行後はなにくわぬ顔をして同人の営業等を引き継ぎ、周囲の者から被害者の行方を聞かれると韓国に行つているのではないかと口裏を合わせるなどしており、計画的かつ慎重に完全犯罪を期して行われた悪質、残忍な犯行である。被害者の被告人らに対する態度には行き過ぎがなかつたとはいえないが、被告人らから殺されなければならないいわれはなく、突如として貴い生命を奪われた被害者の無念の情は察するに余りあり、また遺族の悲嘆、憤まんは大であつて、被告人らに対し厳罰を望む心情には無理からぬものがある。

被告人Aは、本件犯行の首謀者であつて、D殺害を思い立つたばかりでなく、確固たる殺意をもつて本件遂行の原動力となり、同被告人抜きには本件犯行はありえなかつたことや、判示第二のとおり窃取した現金のうち三〇万円を同被告人が取得したことのほか、麻雀店の営業を続けて被害者の兄が同店の経営を引き継ぐまでの間に少なくとも一〇〇万円の売上金を費消しているものであることからして、同被告人の刑責は最も重大である。被告人Cは、被告人Aとともに謀議の中心的存在であり、被告人Aや同Bと違い被害者のもとで働けば働くほど増える借金に苦しんでいたというような事情は見当たらないことや、判示第二のとおり窃取した現金のうち三〇万円余を同被告人が取得したことのほか、被害者から剥ぎ取つた腕時計を他の被告人らに内証で入質し、被告人Bとともに被害者の貸金の一部の返済を受けたり被害者の加入していた無尽を落としたりして八〇万円余を自らの利得としていることを考え合わせると、同被告人の刑責は被告人Aに次いで重大というほかない。被告人Bは、一旦は躊躇したものの、結局は被告人Cらの誘いに応じて仲間に加わり、実行行為の重要な部分を分担しているもので、同被告人も判示第二のとおり窃取した現金のうち三〇万円を取得したほか、被害者のしていたノミの申込金を回収して約七〇万円を手に入れ、被告人Cとともに被害者の貸金の一部の返済を受けたり被害者の加入していた無尽を落としたりして一二〇万円余を自らの利得としていることを考えると、被告人A及び同Cに比べれば軽いとはいえ、被告人Bの刑責が重大であることに変わりがない。

以上によれば、被告人らが当公判廷においても罪体自体については素直に認めて反省悔悟の情を示していること、被告人Cには前科がなく、被告人A及び同Bにもさしたる前科のないこと等被告人らに有利な情状を斟酌しても、被告人らにおいては主文掲記の刑は免れない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤文哉 裁判官竹花俊德 裁判官畑 一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例